50代女の楽張る介護ブログ

アルツハイマー型認知症と診断された母の介護記録でこざいます〰️

己のこと①

私自身のことを少し書いてみようと思う。 


花の仕事を始め28年になる 


当初は航空関係の仕事をし 

習い事……として花をやり始め 

「あ~。これ私の天職だ!」みたいな 

意味不明なヒラメキで それなりのお給料を貰っていたにも関わらず まわりの反対を押し切り、いとも簡単に会社を辞め 時給750円の花業界に飛び込んだ。


 町花屋から始まり 

ひたすら水あげや、仏花作りの日々。


 ヌクヌクとOLをしていた人間にとっては なかなかキツかったが、ただただ目新しくて 楽しかった。 


結婚、出産後もすぐに復帰し ひたすら働いた。 


下の子の時は保育園の空きがなく 扶養者枠で働いていたから 月々8万くらいのお給料に対し 8万5千円を払い無認可保育園に入れ 働くという無謀な事もしていた。


 それくらい花の仕事が好きだった。 


「揺れるブーケ」で当初有名だったKaoruko先生の元でどうしても、ブライダルを勉強したくて まだ小さかった子供二人を旦那さんに任せ 2時間かけ1年半学校にも通った。


 そこで資格を取り更に2年間ブライダル業界に 身を置いた。 

素晴らしい経験だった。

 もちろんそれ以上に悔しくて泣いたことは数しれない。


 「あなたにはセンスがない」

 「こんなブーケ出せるわけがないでしょ?!」 

心が折れたことなんて数しれない 


子供がいるから出来なかった

 主婦だから…… 

時間が無いから…… 


そんな自分に都合いい言い訳でやめたくなかった 

 苦しかったけど

環境や何かのせいにして やめるのは嫌だった。


 その後、引越しなどもあり 

引越し先で見つけた花屋に。


 10年勤めた時、知り合いからもう一度ブライダルを やらないかと誘われた。 


45歳の時だ。 


ブライダルは体力的にかなりきつい。 


花業界に長くいてもブライダルはたかだか2年弱しか いなかったし、ブランクもかなりある。 


でも迷わず「やる!!」 と返事をした


我ながら無謀である


10年勤めた花屋に辞める旨を伝えると 

辞めないでほしい

籍は置いていて 来れる時に来てくれたらいいからと。 

そう懇願された。


こうして2足のわらじを履いた 花職人生活の新たな働き方がスタートする


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